音楽の事
- アトリエ・パト

- 9月30日
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私を古くから知る人は、もともとは音楽をやっていた人だ、というのを知っているのですが、最近は服を作ったりしているイメージの方が強くて、私が歌を歌ったり作曲をしたりしているというのは、知らない人の方が多くなってきました。私も何故か隠すのでね…。
なんというか、歌っている内容が結構重いので、なんか知られたくないような、変な警戒心を持つんでしょうね。ねくらと思われるのではないか、とか。別にねくらでもいいんですけどね。
本当の所、私は歌手になりたかったというのが素直な気持ちだと思います。どうかな?歌手?分からないな…。
ただ、歌う事は子供のころから、とても好きでした。好きというか、私にとっては何か特別な感じがしていました。強い想いが自分に芽生えた時、もし文を書くのが好きなら物語を書いたのかもしれないし、絵が好きなら絵を描いたのかもしれないけど、私は「音」というのが一番、自分の気持ちを乗せるのに合うような気がしていました。それで高校生の時から、何か思うことがあれば詩を書いて、それに音をつけて曲にして歌っていました。
それが何になるのか、何の意味があるのかは分からないんだけど、別に変に意識して隠そうとしなくても、せっかく作って歌っているなら、それを表現してみてもいんじゃないかな、と今はそういう感じです。
歌う理由をいつも考えてみるのですが、昔は自分の気持ちをぶつける為に歌っていたのだろうけど、今は特段ああいった激しさは抱えてなくて、つまりもう歌う必要がないのです。でも最近ほんの少しだけ、人のことを思う時があって、それがこれからの動機になるのかもしれない、と思う時があります。と言っても私は誰かの力になるとか、誰かを励ますとか言うのは全く合わなくて、なんとなく…好きでないんです。
人の力になるって、簡単にできることではない。ましてや人の苦しみを救うとか癒やすとか不可能に近い。知れば知るほど、何もできないと痛感するものです。だから簡単に誰かの力になるとは言いたくない。それに本当に力になってくれる人って、お礼を言うと決まってこう返事するんです。「私は別に何もしていない。あなたが頑張ったのだ」と。
私は、誰かに何かができるとは絶対言わないけど、もし言えることがあるとしたら「私なりに生きてきて、それでいいと思っていて、それを表現していく中に、誰かのことも想っている。」という感じです。
前に、曲を聴いた人から内容が重いだけに「大丈夫なの?!」と心配して声をかけられたことがありますが「いや、もう20年も前に作った曲ですよ。」という感じで、必ずしも今の自分の事を歌っている訳ではないです。詩の後ろにある数字は、書いた時の年齢です。今はもうすっかり、まぁるくなっちゃいましたよ・・・。いや、今でもしんどい時もありますが、それは誰もみんな一緒ですね。


