本当に持ちたいもの。永島庸、力也さん夫妻の「廃材家具 工房 エンジェルのために」のト音記号の棚
中学生くらいまでは、特段自分のことを「体の弱い人」と思ったことはありませんでした。どころか仕事人間のような性格で「昼メシ食うのに5分以上かけてちゃダメだね。」みたいな事を平然と言って、競争するように人より早く食べ終わっては、部活の練習するとか用事を済ませるとかして優越感に浸ったものです。 ところが高校の3年の時「一度死んだか?!」くらいに体調を壊し、私はそこから何をするにも人の半分以下もできなくなりました。さらに今から2年ほど前に、良性ですが脳腫瘍が見つかり、その治療が合わなかったのか、しばらく体調を崩してしまいました。それは本当に辛い事でしたが、どうしたって無理はできないのですから、どうする事もできません。だんだん動く世界は狭まっていき、西は「元町」東は「岡本」あたりまでが無理なく動ける範囲となりました。もし梅田に行くとなれば、翌日も調整日にして、意を決して行くということになります。(最近「梅田なんか誰が行っても疲れるで。」と聞いて慰められましたが…) 同世代と同じように動いても一人疲れてしまうので、だんだん誘いに乗らなくなり、本当にその人
6 日前


SNSについて
こんな事を書くのはどうなのか、と思うのですが、実は私はSNSというのがそんなに好きではありません。と言いながら私はHPを立ち上げ、インスタグラムをし、こうしてブログを書いている訳ですから、SNSなしでは成り立たないのは自覚しています。矛盾しているのですが、本音は・・・そうですね。「使い方が難しい。」というのが適切な表現かもしれません。 私は子供の時から少し変わっていて、みんながやっていることをせず、いつも波に乗っていませんでした。「別にいらん。」というのがいつもの答えで、PHSというのが出た時も、友達に持てと誘われても「いらねえな。」という感じで、とうとう最後まで持ちませんでした。一人でいるのが好きでしたし、一人の時間が必要でしたので「つながるもの」を求めていなかったのです。ただ、孤独ではなかったかもしれません。孤独だと思った事もありましたが、本当の意味では結局孤独ではなかったのだと思います。「なんで携帯持たへんの?」と不満げに言ってきた友達も、本当に何かあった時は本人自ら飛んできてくれていましたし、私も飛んで行っていたような気がします。つ
2月1日


理想のパートナー(本当に頼れる強い人)
私の育った家はジブリアニメ派で、ディズニーはあまり見なかったのですが「美女と野獣」は母と二人で見た思い出があります。見終わった後「そやけど、この話の中で一番ええ男はベルのお父さんやな。」と母は言っていました。私は笑って「なんでやねん!」と突っ込んだのを覚えています。「そういうあんたは誰がええねん。」と聞かれたので「私?・・・ガストンやな。」との答えに「あんた間違いなく失敗するわ。」と返されたのを今でも覚えています。 今、見直すと、本当にガストンはめちゃくちゃで、価値観は稚拙で、自分が一番だと思っていて、またはそうでないと気が済まず、そのためには手段を選ばないという、とんでもない奴なのですが、見てる分には楽しい感じです。特に2017年上映の実写版「つよいぞガストン」のシーンは、私もそこに居合わせたら一緒に喝采を送ってしまいそうな楽しさでしたが、幸い子供の頃の価値観は無事に修正でき、今はベルのお父さんの良さが分かる大人になれました。 私は特段「映画好き」という訳ではありませんが、気が向いた時には映画を見ています。古い映画が好きで、西部劇の世界観と
1月1日


忘れられないお店たち
私の好きなお店「そらと山」のランチの写真 とてもローカルな話題になってしまうのですが、もし「あ、それ知ってる!」という人がいたらすごく嬉しいのだけれど、阪神大震災の後、数年間、JR六甲道でバンの後ろに、たこ焼きの鉄板を備え付けて、おじさんが一人たこ焼きを売っていたのです。1つ500円だったような気がする。いつもたくさんの人が、そのたこ焼きを買い求めていて、我が家もよく買っていました。表に出ていないメニューで「ポン酢マヨ」というのがあって「おじさんポン酢マヨできる?」と聞くと「あんたそのメニュー知っているんか。」と言って用意してくれたのを覚えています。(ちなみに私は兄から裏メニューの話を聞いて知っていました。)とにかく人気で、お客さんがよく並んでいました。ところがある時、法律が変わったかなんかで営業できなくなったと聞きました。道路交通法だったかな・・・。「おじさんがたこ焼きをあそこで売ることが、そんなにいけない事なのか?」子供心ながらに不服だったのを覚えています。ずっと昔の話だけど、私は、汗だくになって、たこ焼きを焼いていたおじさんの事を覚えてい
2025年12月11日




