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私のスタイル

  • 3 日前
  • 読了時間: 6分

 

 信じてもらえないかもしれませんが、中学生くらいまで私は「校則を守らない奴は反逆分子だ。」という考えを強固に持っていました。靴下の三つ折り!学校カバンの持ち方!副カバン単体での使用は禁止。肩にかかったら髪はくくること!使用するゴムは黒か紺!これらは絶対破ってはいけないルールなのです。「決まり」なのですから。

 そんな私の前に、なんとピンク色のヘアピンをした、どうやら校則を理解できていない生徒が現れたので「ピンクのピンっていいん?」と勇気を奮い起こして注意したのですが、そいつはパチンっと音をたたてピンを挟み直し「え?あかんの?知らんかった。」と平然と言い放ちました。「この野郎!!」と私をイラ立たせた、そいつこそ、私の一番の友となりました。

 それから30年ほどたち、私はブリーチでプラチナになるほど色を抜き、アッシュの色を入れ、テーラードジャケットに下駄というスタイルで平気で外に出るようになったのですから、とにかく・・・うん。人生は分からない。


 「あんた、なんでそんな髪型してるんや?!」とおじさんに言われたことがあります。「男と思ってたら女やないか。」と。いや、なんでって言われても、したいからしているだけで、私からしたら「おじさん、なんでその眼鏡かけとるん?」という質問と同じです。

 私はただ、自分がしようと思う事を一つ一つやっているだけなのだと思います。昔は理解されなくて「変わってる子。」とか「それ変やで。」と言われたこともありましたが、最近「オシャレな人」とか「独創性あふれる」とか「かっこいい」とまで言われることがあり、私としては「やる事は何も変えてないのに、まわりの評価だけが変わっていって不思議なものだ。」と感じることがあります。

 

 確かに女なのだから、髪は短すぎるかもしれない。女なのに男みたいで「普通でない」のかもしれない。「普通」ってなんだろうか?普通って「大多数」か。「少数」は変か?歴史を見れば大多数が狂気の方向に突き進んだことだってある。大多数だからと言って必ずしも、まともではない。


 私は10年ほど前に一つのアイデアを抱いていました。それは「自分の体を自然の木のように考え、植物のツタを絡ませたような表現をしたい」という事でした。それを思いついたのは、ある時テレビで、ものすごくおしゃれな義足をしている人を見たからです。その義足には素敵な彫刻が施してあって、ちょうどツタが絡まったようなアラベスクの模様でした。「なんて素敵なのだろう!」と感動した私は、これを彫金で表現できないかと考えました。腕や足に銀で作った大きなバングルを巻こうと考えたのです。実や花は天然石で表現し、ツタのように体に巻き付けるアイデアでした。しかし実際には素材が固く、鎧をはめているような格好になり、実現は難しかったのです。

 そして一つの考えが思い浮かびました。「タトゥー」です。しかし正直に明かせば、当時さすがの私もタトゥーには及び腰になりました。「タトゥーはマズい。」と。


 タトゥーを調べるうちに「消えるタトゥー」というものを知りました。ジャグアという植物で描く、2週間ほどで消えてしまうタトゥーです。「これなら…!」と思った私は10年抱き続けたアイデアをようやく形にすることにしました。ツタ模様を体に描いてもらうのです。そのツタに紛れて、うちの黒ラブも描いてもらいました。

 そうして私は右肩に初めてのタトゥーを描いてもらいました。肩からツタが伸びたようなデザインです。気に入った私は、できるだけ長持ちさせるために、ていねいに手入れをし、それでもやはり代謝とともに消えていってしまうタトゥーを大切にしていました。消えないものとして体に刻むリアルタトゥーの意味も好きですが、どんなに一生懸命に描いても、大切に手入れしても、消えていってしまうもの、変わっていくものとして、つかの間の一時を大事に過ごすジャグアタトゥーが私は好きです。それに必ず、アイデアは変わっていくものですから、色々と図案を試せるジャグアタトゥーが私には合っていました。

 最初は「見えたら何か思われないかな…。」とドギマギしていたのですが、そのうちに自分の一部のようになり、まるで「タトゥーが入っているのが自分。」であるかのような気にさえなっていました。そうしたある日「タトゥーがあるなら入館出来ない」という経験をしました。そこは以前から使っている場所でしたので、私のことを知ってはいるのですが、その日は恐怖の目で私を見ていて、関わりたくなさそうな、そんな表情をしているのです。私はドキドキして、なんか恥ずかしいような、でも納得できないような、怒りとか、辛いとか、ちょっと傷ついたような…早く家に帰りたいような…何とも言えない感情に包まれていました。

 今まで普通に接していたのに、タトゥーが入っているのが分かったとたん私をみる目は変わってしまうのか。タトゥーが入っていれば必ずその人はヤバいのか?タトゥーが入っていなければ、必ず安全なのか?私が今まで見てきた、とんでもない考えの人はみな、見た目フツーだった。タトゥーで、その人がどんな人かを決めつけるのは、ある意味偏見なのではないか。

 分からなくもないんです。私だって最初そうだったから。タトゥー入れてる人って普通でないと。でも悪人と決めつけるのは事実とズレてくるという気がします。

 私は危険人物ではない。足踏まれても「すみません。」って謝ってますよ。体を素材として表現をしたいだけなんです。それをするのが悪いことと思わない。私が体にツタを描くことが、そんなに社会悪になることだろうか?レジの定員さんを、めちゃくちゃな主張で怒鳴りつけてる見た目フツーの人の方がよっぽど良くない。


 以前HAT神戸でお散歩していたら、若い男の子が、うちの黒ラブをえらく可愛がってくれて、温かい時間を過ごしました。礼儀正しい青年でした。その子の腕と首の後ろにはワンポイントのタトゥーが入っていました。

 「あの人茶髪にしてマネキュア塗ってたで!不良や。」と私が子供の時、親たちが言ってるのを聞いた記憶があります。今、黒髪の人を探すほうが難しいくらい、髪色を明るくするのは普通のファッションになりました。いつか時代が進み、タトゥーも普通のファッションになるかもしれません。

 

 私は自分が思いついた表現をしていきたいと願っています。本当はこの髪型も色も、そしてタトゥーも最初はドギマギしているんですよ。ちょっと目立ってるかなって。でもある時、髪をデーモン閣下のごとく逆立てたファッションをしている人を見かけたのですが、みんなに見られて、その人はドギマギしていて、なんだかこちらもドギマギしたことがありました。そして思ったのです。やるなら、堂々とやったほうがいい!「これが自分だ!」って。それで私を嫌がる人がいるとしたら、もうそれは仕方ない。でもだからこそ認めて一緒にいてくれる人がいるとしたら、それでもう十分幸せじゃないか。


 最後に。いつも一生懸命に施術してくれるジャグアタトゥーのタラさん、私の髪を私らしくカラーカットしてくれるアトリエパウダーさん。いつも本当にありがとう。

 そうやって私を尊重してくださり、力を貸していただけるおかげで、私らしくいることができています。だから私は私のまま自然体で堂々としていたいです。

ちょっと消えかけてきたジャグアタトゥーですが、この「かすり具合」も私は好きです。
ちょっと消えかけてきたジャグアタトゥーですが、この「かすり具合」も私は好きです。

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