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atelier  pato

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時間について

  • 7月21日
  • 読了時間: 5分

 

私は時間の使い方が思いっきり下手です。

 子どもの頃からそうで、いつも全ては間際になってからやるのが常でした。(この事については以前[コツコツ]という題のブログでも書きました。)そんな自分が嫌で、私は何とかしようと何冊も時間についての本をオーディブルで聴きました。いわゆる自己啓発本です。

 私は、理論好きで、効率を好み、無駄が嫌いで、そう動けない時に自分を責め、自己嫌悪に陥る性格な所があります。上手くいった9つの事より、1つの引っかかりに心が囚われ、全てがダメであったように感じるのです。良く表現すれば「追及する人」とか「責任感がある」とかになるのかもしれませんが、そんな風に生きる人間は当たり前に「いつもしんどい」のです。


 そんな時に出会った本がミヒャエル・エンデの「モモ」でした。


 「モモ」は今まで私が手に取ってきた自己啓発本の反対にあるような本に感じました。効率や成果だけに価値を置くと、大切なものは失われていく、という感じです。全ては、ただただ、こなすためだけにあり、そこには独創性もなく、心の温かさもなく、人々は決められた仕事だけをこなし、同じようなものを作り、どの人とも同じように接し、一つでも多く、一人でも多く、さばいていくのです。30分かけていた仕事を10分でできるようになるのは、優秀という評価です。しかし不思議なのは、徹底的に無駄を省いているはずなのに、反対に余裕がなくなっていく。早く仕事をすればするほど、もっと忙しくなっていく。何をするにも時間がかかった昔より、効率主義の世の中になった今の方が、どんどん時間がなくなっていっている。

「それは何か意味があるのか。やがて何かになるのか。ならないのなら無駄。やめてしまいなさい。」そういう雰囲気が、人間の心を灰色にしていく、という事なのだと思います。


 この議論はとても難しい、とも思います。

 例えば、何か作品を作ろうとする時「あれ?これどうするんだ?」という場面に出くわすことがあります。そして私はスマホを取り出し調べます。今ならチャッピーに聞きます。とても早い。自分で「こうか?ああか?」なんてやっていたら1時間後もまだやってる。私とは比べ物にならないほどの情報を持っているAIが、なんでも教えてくれる。なんて便利なのだろう!

 ただ最近、なんとなく・・・小さな違和感が芽生えてきているのです。例えば調べまくっているのに、どうしても情報が出てこない時があります。それこそ1時間くらい調べる時がある。ふと調べるのをやめて自分でつまづいている箇所を観察すると「なんだよ。こうすればいいんじゃないか。」と解決できたりするのです。「チャッピー、もっと勉強しろよ。」なんて憎まれ口をたたくこともあるのですが、ふと「何故私は、そもそも自分で考える事を全く選択肢に入れず『調べる』ということに走るのだろう。そして出てきた情報を、『答えが出た』と確信して解決したように思っている。実際にはやってみないと分からないというのに。」と奇妙な気持ちになるのです。つまり現代社会は「試行錯誤」には労力を使わず「調べる」ということに全力を注いでいるのではないか。試行錯誤は時間の無駄だと感じているのではないか。そんなことで、うんうん唸らなくてもAIに聞けばすぐ答え出るよと。生きる軸を自分ではなく他の何かに置いて生きていて、自分なんかよりすっかり他の何かを信頼し、頼り、もう自分は何も考えない、考えようとしない、何も決めれない、なんでもかんでも「ねえ、どうしたらいい?」って聞いてくる頼りない恋人みたいになってしまっているのではないか。

 画面を見続け、調べるのに使った10分、実際に物を手に取り試行錯誤した1時間、私は後者の方が身になったと思います。自分の頭で考え、自分の手で試した事、それは自分の糧になる。自分の芯になる。それを「無駄だ。」と感じさせる今の世の中は灰色なのではないか。

 

 何を思ったか私は、高校生の時に甲子園から六甲道にある自宅まで歩いたことがあります。6時間半かかりました。理由は分かりません。歩きたかったのです。本当に自分は歩けるか試したかった。電車に乗れば1時間で帰ってこれる道を、明確な理由もなく6時間以上歩き続けたのです。途中、魚崎辺りで「もうやめようか。」と思いました。日も暮れてきたし、とても疲れたし、もういいんじゃないかて思った。でもなんか悔しくて歩き続けました。そして家にたどり着き「甲子園から歩いて帰ってきた!」と叫んだのですが、その時母と父はケンカをしていて、なんかあまり私の話は聞いていなくて「どこ行ってたんや。食べに行くで。」とか言って終わりました。でも私は、あの日の事を25年経っても覚えています。「おまえ本当にすごいな!」ってあの時の自分に声かけてあげたい。無駄なんかじゃない。工場ばかりある所とか、オシャレなお店があったりとか、夕陽とか、なんかいろいろ見て、何かを感じていて、たった一人でずっと歩き続けた。何の意味があったのか、それが何になったのか

。誰かに頼まれたのでもない。成し遂げたら賞金がもらえるのでもない。レースに参加している訳でもない。する必要なんか全くない大変な事を、それでもやり遂げたのです。でも何となく歩いてはいなかった。ものすごく強い意志を持って歩いていたと思います。絶対やり遂げるって。


 効率よく、利益が出て、手間を省いて、最短でいく、楽にできる、それって現代のトレンドですよね。

 下手、生産性がない、手が取られて、時間がかかって、しんどい。確かに嫌になる。ほんとに嫌になる。自分はダメ人間って思う。

 

 でもそんなことないですね。そんなこと思わなくていい。何が自分の中に残っていくか。人生を振り返った時に、本当に心に残っているのは案外、非効率な時間を過ごした方かもしれません。

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