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遠い昔に見た夢

  • 7月16日
  • 読了時間: 4分

ずっと昔に見た夢で、忘れられない夢があります。

気に入っている訳でもないけど、ちょっと怖いような、何とも言えない夢です。

ただ、そこから何かを考えたり感じたりする夢で、このブログではその夢の話を書きたいと思います。


 私はまだ学生で、パト(当時飼っていた犬)と友達、その保護者で川遊びをしていたのですが、洪水に巻き込まれてしまうのです。


 次のシーンで、古い映画館のロビーのような所にみんな集まっていて、そこに40代くらいの男の人がやってきて「ここは生死のはざまだ。」と言うんです。そして映画館の出口の方を指さして「もしかしたら何かのタイミングで、あの扉があくかもしれない。その時に出られれば、もとの世界に戻れる。」と説明されました。

私たちは時間の感覚もなく、ずっと薄暗いロビーでその扉が開くのを待っているのですが、途中パトがいなくなったり、何とか見つかったりをしている間に、その扉があくんです。光の塊のような扉で、私は真っ先にパトを放り投げるようにして出してやり、みんなもその扉に駆け寄って脱出し、最後私一人になったところで後ろを振り返って男の人に尋ねるんです。「あなたはここから出ないのか?」と。するとその男の人は「私はここの番人なので、ここに残る。」と言いました。それを聞いた私は何となく寂しくなって「なら私も、あなたと一緒にここに残る。」と決めて、その後に光の扉が閉じていく、というような夢でした。


 この夢が恐ろしいと感じるのは、どことなく狂気があって、悲劇の中に居場所を見出してしまう怖さというか・・・。つまり「それって本当にいいの?」と周りが心配になっても、本人は固く決めてしまって、自分の人生や命を放棄してでも、そこにいる事を優先しようとする。だけど本人は幸せだと思っていて、居場所を見つけたと思っていて、出てこようとしない。暗く停滞して孤立した空間に、安らぎを見出してしまう。

 これは夢の話なんですが、実際に私は、かつてこんな所があったような気がします。でも、逆に言えばそれくらい現実の世界の方が恐ろしかったのかもしれません。通学したり、普通に日常が動く中に心は取り残されていて、それなら例えそこにいるのは間違っているとしても、薄暗いロビーで全てと切り離されている方が安らぐ、という訳です。


 今の私はどうか。

光の扉から出ますね。「ハイ!出ます!」というよりは「私は残る訳にはいかない。」という表現のほうが受け入れやすいかな。


 現実の中にこそ、本当の安らぎや温かさがあって、いや、あるべきで、そしてそれは理想論ではなく確かにあり、それこそが本当に生きる力になっていくものだ、と思うようになったのだと思います。


 本当に私の事を想う人なら、あの場面で何て言うか。

「私はここの番人で、ここに残らなきゃいけないけれど、あなたは光の扉から出なさい。」と言うでしょう。そして「ほら!一緒に出よう。」と手をつないでくれる誰かもいるかもしれません。

 そして今の私が当時の私に声をかけるなら

「自分が信じているほど、そこに安らぎはないぞ。」と出る事を促すと思います。

「暗い底にいる安心より、不安でも自分でこっちに歩いてきてみろ。」と。


 底には確かにある一種の安らぎはあったけど、道がないんですね。色々不安なんですが、ほんの少しずつ動いてみると道ができていって動き出すんです。自分や人が。

 私にもまだ分かりません。どちらが良いとか、どちらも時に必要なのかもしれないし、人や状況によって繊細な問題な気がします。ただ、あの場所は不必要だったとは思わなくて、いやむしろ貴重な体験で、でもやはりあのままは居続けられないし、居続けるべきではない、とは強く思います。


 もう30年もしたら「ちょっと、あんた邪魔。」と人を押しのけて、いち早く光の扉から出ようとしていたりして・・・・。財布落としてきたの気づいて「ちょっとごめん。もういっかい開けてくれへん。あたし財布落としてきてるわ。」と詰め寄り、みんなから「あんた戻るのか!?」「あの人すげーな。」みたいに言われて…。しかもそういう人、財布拾ってちゃんと戻ってくるんですよね。

 そんなんなるの、絶対やだなぁ・・・。

でも時の流れというのは恐ろしいですからね。


 ちなみに私の目指す70歳の姿って、最後のアルバム「ブラックスター★」を出した時のデヴィッドボウイです。

 




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